第6話 くすりになったトマト 

     

この話は、わたしが、漢方の勉強会に出席した折、隣に座っていたご婦人の薬剤師の方から聞いたお話で、その方の幼少のときの体験談です。
 その方は、北海道に生まれて、4歳のときに終戦を迎えました。
 その方は重い腎臓病を患っており、小便の出が悪くなってきて、身体もだんだんと衰弱してきました。

 終戦直後でしたので、医者にかかっても、注射や医薬品など底を尽き、医者からも「この子は重い腎臓病で、くすりや手当の方法も全く無く、余命はよくて半年の命です」医者からも、見放されてしまいました。
 現代ならば、医学も発達していて、最先端の医療で治るかもしれないが、戦後間もない時代で、薬も無く、手当てのすべが無かったのでした。
 両親も、なすすべも無く、幼い女の子の死を覚悟しました。
 女の子も両親の態度で、自分が死んでしまうんだな、と寂しさと哀しさで一杯でした。

それでも、両親がせめて何かしてあげられることは無いかと思案して、女の子に「何か食べたい物はない?」「何でも買ってあげるよ?」と尋ねました。すると女の子が「トマト、私 トマトが食べたいわ!」と思いがけず言葉が出たそうで、トマトは、絵本で見た、あの真っ赤で美味しそうなトマトが、どんな美味しい味がするのか、死ぬ前に一度食べてみたいと子供ながらに想ったそうです。
 今ならば、八百屋さんやスーパーなど、何処でも簡単

に買えるトマトですが、終戦直後の北海道では、まだトマトは栽培されておりませんでした。
 それでも両親は、女の子に何とかトマトを食べさせてあげようとして、あちこち探しました。すると、青森県でトマトを作っているところがわかり、青函連絡船に乗ってやっとの思いで、トマトを買うことができました。
 家に帰って早速トマトを洗って、寝ている女の子の枕元に、トマトを差し出しました。
 女の子は、パッチリ目を見開いて、生まれて始めて見るトマトに「お父さんありがとう!」といってトマトに噛り付き、口にほうばると、口の中で甘酸っぱい味とさわやかな香りが、口の中いっぱいに広がり、美味しいといって一個全部食べてしまいました。
 絵本の中で見たトマト、北海道の人は誰も食べたことが無いトマト、無いものねだりしてやっと手に入れたトマト。ちょっぴり優越感に浸りながら食べたトマトは、想った以上に酸っぱい味でした。
 毎日トマトを一個ずつ食べていたら、不思議な事に、おしっこの出が良くなりました。
 両親は喜んで又、青森へトマトを買いに行きました。やがて1ヶ月が過ぎる頃、小便の色も透明になり、むくみも取れてきて身体もすっかり丈夫になりました。
 これを境に、腎臓病は完全に治ってしまい、それ以来一度も再発していませんと笑顔で話しておりました。
 でも、あの時、子供心に何故トマトが食べたいと言ったかは、今でも解かりませんと、おっしゃったので。
 私が、「生死の境で神様が教えてくれたのではないですか?」
 「神様から贈られた命=トマトですね」と言ったところ、「そうですねぇー」と感慨深く話されておりました。

まさに命を救ってくれた運命のトマト=くすりになったトマト ですね。
たったひとつの食べ物が、病気を治し命を救う事が本当にあったのです。

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